PH9.0

20代の男の日々の雑記です。

ねじまき鳥クロニクルの雑記

ねじまき鳥クロニクル村上春樹)を途中まで読んだ。この小説はとても長いため、最後まで読み終わるのに時間がかかる。また、内容的にもさまざまな属性を持つ人物やモノが登場するため、複雑な構成になっており、読むのが大変だ。この小説は主人公が現代の日本の資本主義社会が抱える闇や、性欲や金銭欲といった欲望の闇という悪と戦う話だ。その際、主人公は悪と戦うために直接的な肉体的暴力を行使するのではなく、精神的な無意識の部分まで降りていき、その中で戦いを挑む。その辺が村上春樹らしさの出ている点だ。

また、この小説はいくつかの点で話型が「羊たちの冒険」に似ている。本書が描く悪はロシア人、綿谷昇、ナツメグの元夫といった人物達によって体現されている。その悪は世代を通じて、これらの人物の間で受け継がれていく。「羊たちの冒険」では悪は「羊」が人々に乗り移り、その人を操作することで現実的に実現されるという内容であった。悪が時間の経過で伝染していくという構造をこの2つの小説は共有している。そして、主人公は望まないにも関わらず、その悪と対峙しなくてはならなってしまうという点でも両者は共通している。

僕としては戦後の日本社会は比較的健全だと思っていたので、村上春樹が資本主義を帝国陸軍と同じくらい悪だと描いていたことには驚いた。この本が描かれた90年代初期には豊かな社会を心の貧しい社会と批判できるだけの社会的余裕があったのだと思った。今の日本で日本社会は豊かだから精神が貧しいなんていう人はいないだろう。しかし、90年代の初頭はそういうことが言われていたらしいのだ。つくづく日本社会は貧しくなったと感じる。

また、この小説では性描写が多く描かれている。妻とクレタ、電話の女と主人公の関係、ナツメグと夫の性生活、綿谷昇の姉への性欲等である。これらが何を意味するのかについてはまた今度考察してみたいと思う。